こんばんは ましゅーです。
ε=( ̄。 ̄;A フゥ… 明日は完全オフの日。
ねこーん
GWも半分終わったのかな。忙しかったですが、なかなか効果的に動けたと思います。でも、ちょっと疲れも出ています(笑)慌しく動いたので、疲れがたまったのかな。
ですので、明日は完全オフ日としてガッツリと遊びます。具体的には、本屋の日の敢行とジム通いですね。ゆっくりと本を眺めて、良い汗を掻いて来ます。リフレッシュしたいですね。
ここから本編
今回の話題は【コンサート】です。
( ^ω^ )ニコニコ つづき記事となるんだよ。
ねこーん
4月3日に、愛媛県は松山市民会館で開催された”究極の協奏曲コンサート”へ行って参りました。そのコンサートの感想記録の続きとなります。ですので、最初から楽しんでくださいね。
シリーズ記事の始まりはコチラです。

いよいよ始まる究極の時間
(;゚д゚)ゴクリ… 遂にですね…。
ねこーん
前回の続き
先ずは、前回のあらすじから。
「究極のコンサートが松山に降臨する。」そんな噂を聞きつけたましゅー。果たして、その噂は本当なのか?を確認するため、坊ちゃんで有名な松山の地へ降り立つ。
先ずは腹を満たさねば戦が出来ぬ。そんな理由から、仕方なくステーキを腹に押し込み…。
ねこーん
( ̄σ ̄)ホジホジ うん、そうよ。
その後、満たされた腹に満足しながら珈琲店を探すが、残念ながら、自慢の嗅覚が破綻し、向かう店がすべて潰れているという憂き目にあう。しかし、Lawsonさんの暖かい手に助けられ、再び、戦いの地へ向かう—。
次回、風のましゅー。究極のコンサート!その全貌や如何に!をお楽しみに。
ε=( ̄。 ̄;A フゥ… こんな感じ。
ねこーん
時間を間違える
では、実際のご説明に入ります。
何とか珈琲にありつき、ゆっくりと時間を掛けて喉を潤した後、地表のオアシスである”Lawson”を後にしました。(いちおう、褒めておきました。でも、タルタルソースの入ったアレは、僕の中では微妙な味わいでした。)その後、松山市民会館前の城山公園に戻り、空いたベンチで読書を楽しんでいました。
屋外で楽しむ読書は最高ですよね。
昔、市の教育委員会の偉いさんとお話しするチャンスがありました。その時、読書について、すこしお話しさせて頂いたんですよね。そしたら、「人間は目と頭だけで本を読んでいる訳ではない。」なんて事を教えてもらいました。
例えば、手触り、匂い、周囲の音…。その人が意図しなくても、それらの事が読書のスパイスとなって混ざり込んでいるのだそうです。
程よくスパイスを効かせた方が料理も美味しいように、程よくスパイスが混じった読書は楽しい時間として頭に残るんだそうですよ。
ねこーん
(´ー`*)ウンウン だよね。
とにかく、そんな感じで読書を楽しんでいたんですよ。開場が16:00、17:00開演、今は15:00、まだまだ楽しめるワケです。因みに、そん時、読んでいたのは中山さんが書いてる”護られなかった者たちへ”でしたけどね。
( ^ω^ )ニコニコ 面白いよね。
ねこーん
事件発生
ちょっと焦る事件が発生しました。
読書を15:45に終え、大ホールを目指したんですよね。この本の続きはホールで読んでも良いかなって思って。時間は少し早いですが、先に座っていないとバタバタするし。そんな思いから、すこし早めに大ホールを目指したんです。
大ホールへの入口へ付くと、何故だかガラガラだったんですよね。
(´・ω・)エッ? なんで?
ねこーん
その後、検温を済ませてエントランスへ入ったんですが、ここも変わらずにガラガラ。ええ、この頃から少し嫌な予感はしたんです。ちょっと焦りながら大ホールに入ると、もうね、超満員です。ええ、開演時間を間違えていたんですよ。正しい時間は、15:00開場、16:00開演。1時間ほど時間を間違えていたんですよね。
((゚д゚; 三 ;゚Д゚))ヒィィィン あかんやん。
ねこーん
もうね、焦りましたよ。でも、たまたま早い時間に動き始めていたお陰でホールへ入ることは出来ました。これがあと少し遅れていると、演奏が終わるまで入らせて貰えませんもん。つまり、三浦文彰さんの協奏曲はすべて聞けなく所でした。
(-_-;) 危なかった…。
ねこーん
皆さん、コンサートへ行く前には、きちんと時間を確認した方が良いですよ。まあ、そんなお茶目をかましつつ、とにかく演奏が始まりました。
プレイリスト
では、先ず、今回のプレイリストから。
- チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35 Vn.三浦文彰
- 第1楽章 アレグロ・モデラート —モデラート・アッサイ
- 第2楽章 カンツォネッタ・アンダンテ
- 第3楽章 アレグロ・ヴィヴァチッシモ
- — 休憩 ―
- ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18 Pf.辻井伸行
- 第1楽章 モデラート
- 第2楽章 アダージョ・ソステヌート
- 第3楽章 アレグロ・スケルツァンド
- — アンコール ―
- 服部隆之:真田丸のテーマ
- モンティ:チャルダーシュ
こんな感じでした。
(-ω-;)ウーン 何と…。
ねこーん
共にロシアの作曲家なんですよね。ちょっと時期が時期だけにびみょう。特にチャイコフスキーに至っては、名を冠したコンクールですら中止になっていますからね。とは言え、曲に罪はないんですけどね。
ましゅーの感想
では、僕の感想を手短に書かせて頂きます。
三浦文彰:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35
ヴァイオリン協奏曲という事もあり、正直、あまり聞いた事がありませんでした。普段は予習してから行くんですけど、三浦文彰さん自体に興味がなかったもので…。
ねこーん
(´・ω・)(・ω・`)ネー 女性ファンも多いらしいしね。
僕の正直な感想は、
なんか上手い人が弾いてるな。
ぐらいの感じ。
いや、上手いんです、上手いんですけど、何だか覇気が感じられない。本当に近くのバイオリン上手な兄ちゃんがサラリと弾いている感じ。まあ、サラリと弾けるのは凄いんでしょうけど、とにかく何も心に感じない。
良いコンサートって、「はああ…。」って言葉にならない言葉が身体を突き抜けるんです。何だろな、楽器の音圧であったり、それこそ技術であったりもするんだけど、「ぐはぁ…。」なんて感情が押し寄せて来たり、音の美しさに酔ったりするんです。
( ゚д゚)ウム でも、叫び声を口に出したりはしないよ。
ねこーん
例えば、以前、記事にした宮田大さんコンサートがそうでした。チェロの音にくぎ付けにされたんですよね。「どうやったら、こんな音だせんねん!」って叫びたかったですもん。
でも、今回の三浦さんの演奏ではソレが感じられなかった。なので、僕としては非常に珍しいんですけど、第1楽章の終わりから爆睡していました。ハッと目覚めたのは、第三楽章のアタマ。
(  ̄っ ̄)ムゥ こんな事ないんだけどな。
ねこーん
ちょっと、僕は物足りなさを感じた演奏でした。
辻井伸行:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 作品18
今回の目的はコレ。テレビで何度か拝見はしてたのですが、ぜひ本物を聞いてみたくて。
で、その感想ですが、
彼に見えている音楽の美しさとは何だろう。
と思わせてくれる演奏でした。良い、非常に良い。
正に情熱の全てを掛けてます!というような全力投球ぶり。「僕には音楽しかないんだ!」なんて彼に言われたら、素直に信じてしまう位の説得感。
「目が見えない彼の心に見えている音楽とは…。」なんて言葉が素直に出て来ます。心に見える音符を必死に繋げ合わせるとあの音楽が出来るのか、それとも、彼が音符を生み出しているのか。
残念ながら、ソースは発見できませんでしたが、辻井さんの演奏に関して、こんな事を述べているインタビュー記事がありました。「彼の音楽は毎回違う。だからこそ、彼の音楽は楽しい。」。
(゚д゚)(。_。)ウン こんな意味だった…と思う。
ねこーん
目という情報入手手段を失ったからこそ、彼にしか見えない音楽があり、その音楽は時として変容を見せるのだと思います。その音楽を彼は必死に紡ごうとしているのかも知れません。
( ̄∇ ̄ノノ”パチパチパチ 良いもん見られた。
ねこーん
また、コンサートへ行きたいと思わせてくれる演奏でしたよ。
共演:真田丸のテーマ、チャルダーシュ
これが良かったですね。特に三浦さんの演奏に関しては、コッチの方が僕は好き。三浦さんと辻井さんはプライベートでも仲が良いらしいのですが、それを充分に感じさせてくれる演奏でしたね。何だろな、雰囲気がパッと華やぐと同時に柔らかくなった感じ。
これは完全に私感ですが、三浦さんは室内楽や指揮者の方が楽しいんじゃないかな。(今はね。)もちろん、プロとしてコンサートはこなすけど、本当の所は…なんて勘ぐったりします。
まとめ
総括すると、
見に行って良かった。あと、間に合ってヨカッタ。
と思えたコンサートでしたね。

で、コチラが今回のお土産。
三浦さんのCDも売られていましたが、今回はパスしました。辻井さんと一緒に演奏されているCDが販売されていたら購入しよう!とも思っていましたが、見つける事が出来ませんでした。(現地ではね。)
とにかく楽しい時間を過ごす事が出来ました。文句を言えば、松山市民会館の席の狭さと音響の悪さ…ですかね。申し訳ないケド、伊予市のホールよりもぜんぜんダメ。松山と言えば、愛媛の県庁がある場所ですからね。愛媛を代表するホールをそろそろ作りなはれと思います。
それではでは…、
人が生まれた落ちた日から、音楽は常に人と共にあった。
喜びの旋律を奏で、怒りを太鼓のリズムへ載せる。悲しみを歌い、楽しみを送り届ける。常に人と寄り添ってきた音楽には、何かを乗り越える力がある。悲しみを癒す力がある。そして、楽しさを与える力も。
No music No life
常に音楽は人と共に。